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『孤蝶無惨。落日の女神たち』
作:エンバ

序.
―2003年11月××日 ロンドンタイムズ 朝刊記事より抜粋―

格闘技界最大の祭典『キング・オブ・ファイターズ(以下KOF)』の
決勝トーナメントが、いよいよ幕を開ける。
世界各地の予選トーナメントを勝ち抜いてきた16チームのうち、
世界最強の称号を手にするのは果たしてどこなのか――。
開幕を一週間後に控えたKOFを、本紙は徹底特集する。

チーム特集第一弾
「史上最強、ヒロインチーム発進」
開会式直後に行われる、決勝トーナメント第一試合は、
チーム・イングランドVSチーム・上海のカードとなっている。

チーム・上海は、メンバー全員がKOF初参戦という、
新顔揃いのチームである。
今回、麻宮アテナが10代の少女のみで新チームを結成し、
U−18枠に移動したため、彼女らの抜けた中国予選を勝ち抜いて
チーム・上海が代表になったものと思われる。
目指すは一回戦突破といったところか。

一方、ファンの間では「女性格闘家チーム」の名で親しまれる
イギリス代表チームは今回、キング、ブルー・マリー、不知火舞
の三人で大会に名乗りを上げている。

アイドルやモデル顔負けの美貌に加え、
屈強な男性格闘家とも五分に渡り合う身体能力から、
毎年、観戦チケットが即日完売する程の人気を誇り、
大会のダークホースとして常に優勝候補に挙げ続けられながら、
未だ栄冠を手にした経験がない不遇のチームでもある。

善戦空しく、ベスト8やベスト4止まりに終わることが多い
彼女たちの敗因として、一部の専門家からは
「選手個人の実力を合算して他チームと比較した場合、
接戦を制するための決定力不足がどうしても否めない。
特に、藤堂香澄やユリ・サカザキのような発展途上の若輩選手が、
キングや舞の足を引っ張っている」
という厳しいコメントも毎年寄せられていた。

しかし、今年の「女性格闘家チーム」に対して、そんな心配は無用である。
なぜならキング、マリー、舞というベテラン選手のみで
メンバーを固めているからだ。
技のキレ、実戦経験、攻撃力は、神楽ちづるを擁した97年大会時にも勝る、
チーム史上最強の布陣といえるだろう。

加えてこの三人は皆、アメリカ東部の貿易都市、サウスタウンを拠点に
活動していることから親交も深く、
今大会から導入された新ルール、「マルチシフト」を利用した
連携プレーにも期待がもてる。

2000年大会でチームリーダーを務めた不知火舞は、
「今年は私がチームで最年少の妹分。頼もしいお姉さま達の
足を引っ張らないよう、試合では全力を尽くすわ」と、
残る二人の実力に全面の信頼をみせている。

KOFで優勝し、彼女らの力を世界に知らしめるための準備は整った。
世界一華やかな戦士たちが、初の栄冠に向けて一週間後、発進する。


1.
―1週間後―
坂道。
ローマ人が築いた丘の上の古城へと続く、急勾配の坂道。
曲がりくねった石畳の坂道に、黒いのっぽなガス灯が等間隔で並んでいる。

迷路のような細い路地と白壁の家々、そしてオレンジの屋根の連なりは、
11世紀にこの地を侵略したイスラムの面影を今なお残す旧市街だ。

対照的に、ロマネスク様式の簡素なカテドラルは、その後キリスト教が
町を奪還した偉業を荘厳に主張する。

ここは、ポルトガル共和国の首都リスボン。
ヨーロッパ大陸最西端に位置するこの都市は、七つの丘を跨いで広がる坂の街。
紺碧の空と温暖な気候、美しい街並み、比較的良好な治安もあって、
欧州の隠れた人気スポットとなっている。

大航海時代、新大陸を目指す冒険家たちの夢の出発点であったリスボンが、
決勝トーナメントの開会式、そして第一試合の会場に選ばれたのは、
ネスツ崩壊後の新生KOFが無事船出できるよう祈る、
主催者の願掛けとも噂されている。

全世界同時中継の盛大なセレモニーが、午後になっても続いた関係もあり、
現在の時刻は16時。
秋も深まった季節のため、街は既に夕日に染まり始めていた―――。


メチリィ!!
渾身の左ストレートが文字通り顔面にめり込み、
鼻骨が潰れる音が路地裏に残響する。 

「ぶっ…ぼげぇぇえ!!……」
薔薇を連想させる唇から洩れたのは、
おおよそ彼女には似合わぬ無様な声だった。

ブロンドの髪と美しい顔を、赤黒い血液でベチャベチャに汚され、
その美貌を台無しにされたマリーの体が、
スローモーション映像のように後方に傾いていく。

拳を放った体躯のいい男は、足下もおぼつかないマリーの首根っこを
片手で掴むと、20センチ近い身長差を利用して彼女の体を高々と掲げてみせる。
そうやって会場を囲む観客に、そして控えスペースの仲間に
見せつけるかの如く、天に掲げられた後、大会屈指の実力派と呼ばれた
女性エージェントは、堅い石畳の上に乱暴に投げ落とされた。

「そんな…嘘でしょ……」
茜色の空を仰向けに眺めたまま、
ピクリとも動かなくなってしまったチームメイトの無惨な姿に、
不知火舞は思わず両手で口を覆っていた。

マリーに駆け寄った審判の一人が旗を上げて彼女の戦闘続行不能を判定する。
「チーム・イングランド、ブルー・マリー選手がダウン。
不知火舞選手、10秒以内にリングに入って下さい」

昨年までの大会と異なり、出番を迎えた選手にアップの時間などは与えられない。
マリーの敗北にショックを受けた舞であったが、すぐに気持ちを奮い立たせ、
「大丈夫、私がなんとかするから!」
自分以外、誰もいないベンチで強い口調で呼びかけると、
待機用のスペースから走り出した。
高めのポニーテールに結った彼女の黒髪が、風に煽られ美しくなびく。

意識のないマリーが担架で運び出されていくのと途中、すれ違う。
思わず目を背けたくなるような、戦友のなれの果てに、
舞は「仇は必ず取ってあげるから」と小声で囁いた。

KOFの起源ともいえるストリートファイトをテーマにした試合会場は、
リスボンで最も古い市街地の一区画を、ラインで囲っただけの、
極めてシンプルな作りとなっている。
誘導する審判の横を駆け抜け、境界線を越え、舞は闘いのエリアに足を踏み入れた。

彼女を出迎えたのは、たった今マリーを血祭りにあげたばかりの、
アジア系の青年。
一張羅のジャケットから、鍛え抜かれた褐色の上半身を覗かせ、
野性味溢れる印象を周囲に与える彼は、
自身をシェン・ウー(神武)と名乗っていた。

無類の喧嘩好きであり、人並み程度に好色でもあるシェンは、
女の色香を際どく振りまく舞の忍服姿を間近で見て、口笛を鳴らす。
「いいねぇ。雑誌やTVで見るよりも、さらに数段色っぽいじゃねぇか。
三人の中じゃアンタが一番俺のタイプだが、ワリィ、手加減なんて期待するなよ」

そんなことは、チームメイトがやられる様を二回も見せつけられた舞には
嫌というほど理解できている。
朱塗りの鉄扇を握りしめる右手に力がこもり
「花蝶扇!!」
舞の手から扇子が飛ぶ。

「邪魔だぁ!」
左手で力任せに叩き落とそうとしたシェンであったが、
扇は予想外のスピードと軌道で彼の腕を潜り抜け、上着の袖を切り裂いた。

「ちぃっ!」
パックリと裂けた衣服の下、弾力性と柔軟性を両立したシェンの
肉に浅い傷が走り、うっすらと血が滲み出す。
さらに――――
彼が扇に注意を向けた僅かな隙に、舞の俊足は一瞬で間合いを詰めており、

「うおっ!?」
顔面を狙った強烈な突きが、
条件反射で上半身を反らしたシェンの鼻先を通過した。

「アブねえじゃねぇか!」
閉じた鉄扇の先端を間一髪回避した彼が、
即座に頭突きで反撃に出たのは、流石といえよう。

しかし、額を撃ち込むべき相手である女忍者は、
低い軌道のジャンプでシェンの頭上を跳び越すと、
すれ違いざま、扇子による殴打を見舞ってきた。

バシィッ
軽快な音と共に後頭部で火花が散り、思わずよろめくシェン。
彼の背後に着地すると同時に、舞は左足を軸にした鋭い回し蹴りを放つ。
「タアッ!」
足袋で包んだ爪先が、男の脇腹を抉り、アバラ骨を軋ませる。

「いっ――!!つっ―――」
愛くるしい顔からは想像もできないえげつない攻撃に、
回れ右を強要されたシェンはそこで見ることになった。
両腕を広げ、薄く目を閉じた不知火舞が、彼女の名の如く優雅に舞う姿を―――。

「龍炎舞!!」
格闘家の闘いにはおよそ相応しくない、華麗な旋回動作から繰り出されたのは、
どんな屈強な男性格闘家であろうと、怯まずにはいられない灼熱の炎。
舞の後ろ腰に垂れる、猫科の尻尾を思わせる長布が、
不知火の秘術によって熾した火炎を纏い、
大きく円を描くように、横薙ぎにふるわれていた。

「テメェも炎を――――!!」
「えっ?」
驚愕というにはやや冷めた感のある、謎の表情を浮かべたシェンに、
舞が一瞬疑問符を浮かべるが、“龍炎舞”の炎は、容赦なく彼の体に噛み付いた。

ボウゥッ!!
「ぐあぁっ!!」
咄嗟に試みた、左腕一本のガードはほとんど役に立たず、
衣服に燃え広がった炎を消すために、
シェンは石畳の上をゴロゴロと転がる羽目になった。

「あたしと初めて闘う男にしては、なかなか賢い部類ね」
扇子で口元を煽ぎながら、舞は冷めた声で賞賛を送る。

どうにか鎮火に成功し、丸焼きにされるのは免れたものの、
上半身に負った火傷は誤魔化しようがない。
シェンはたまらず膝をついてしまう。

そんな彼に、舞はジリリと詰め寄り、鉄扇を構える。
「マリーの仇、そしてキングさんの仇、とらせてもらうわ」

舞が勝利を予告したその直後、低く乾いた声が二人の間に投げかけられた。
「下がっていったん休め、シェン。そのクノイチは俺が引き受ける」


2.
「お帰りシェン。『俺一人で三人抜きするから悪いがお前らの出番はないぜ!』
とか意気込んでいた割には―――――」
待機スペースに戻って来たシェンの爪先から頭頂部までを一瞥し、
アッシュ・クリムゾンは言葉を続けた。

「――――満身創痍のズタボロじゃん。かっこわるぅ」

アッシュの言う通り、シェンの顔や体の至る所に、痣や血が滲んだ
箇所が見受けられ、蓄積されたダメージがかなりの量であることを物語っている。

「うるせぇ」
そう短く吐き捨てた彼の右腕はだらりと垂れ下がっており、
ベンチに置かれた応急処置用の救急箱を利き腕ではない左手で漁っている。
その後ろ姿を見て、そばかすの浮かんだ顔の下、アッシュの口元がニィッと吊り上がる。

「ケッ。デュオロンの奴が横槍を入れて来なけりゃ、
俺はあのまま三人抜きだって……って…でぇぇえええ!!?
いてぇ!!バカ!そこを触るんじゃねぇ!!」

指先で右肩をつついてきた、というよりもグリグリと
捻じ込んできたアッシュの手を、シェンが慌てて払いのける。

「アハハッ、やっぱりそうだ。あのサンボ使いのお姉さんに、
右肩を外されていたんだネ。途中から左腕一本だけで闘っていたから
変だなぁとは思っていたんだ。それにシェンはここに戻って来る時、
左足を引きずっていた。つまり、左足首も壊されている。
どう?図星でしょ?」

「………………」
シェンの無言は肯定の証だ。
今の状態で、不知火舞の疾風の如き動きに対応することは到底できない。
自らそう判断したからこそ、過熱していた頭を即座に冷まし、
次鋒のデュオロンに見せ場を譲ったのだろう。

饒舌だったアッシュはそこで一度口をつぐみ、
頭の中でチームメイトの試合内容を反芻する。

――利き腕と軸足を壊された状態で、ミス・マリー・ライアンの
顔面を陥没させちゃった訳か。相変わらずデタラメな強さだヨ。
それ以前に、ミス・キングもシェン一人で倒しているしネ……。
もっとも、彼女の足技を見切るまでに、
随分と蹴りを喰らってはいたけれど――

敵チームの先鋒であり、ムエタイを操る麗しのマドモアゼル、キング。
彼女が、顔をボコボコに殴られ、強烈なボディーブローで
胃液をブチまけ、担架で運び出されていった光景を思い出し、
アッシュは微妙な表情を浮かべた。

「それにしても、珍しいじゃねぇか」

「ん?なにが?」
アッシュは一瞬、シェンが自分のことを言っているのかと思ったが、
それは違っていた。

「デュオロンの奴さ。中国の予選じゃ、
『大衆の見世物になる闘いはどうにも好かん』とかほざいて
ロクに闘おうとしなかった男が、今日は二番手に立候補した上に、
俺の闘いに割り込んできやがった。一体どういう風の吹きまわしだ?」

「シェンが絶体絶命のピンチだから助けようとしたんじゃない?」

絶対に不正解である回答に、シェンが即座に突っ込みを入れる。
「テメェ、ぶっ殺すぞ」
「ウソウソ。ごめんネ。デュオロンは、あの忍者のお姉さんに興味があったみたい。
暗殺を生業とする東洋の神秘的職業同士、いつも冷静な彼にも
対抗意識みたいなものがあるんじゃないかな」

あぁそうか、と、今度はシェンにも合点がいったようだ。
詳細を自ら語ったことはないが、デュオロンは“飛賊”と呼ばれる、
中国奥地に拠点を構える暗殺集団の一員なのである―――。


3.
「マルチシフトによりチーム上海が選手交代。
シェン・ウー選手からデュオロン選手にバトンタッチ」

不知火舞の目から見て、その男、デュオロンは実体のない影のように映った。

190センチ近い長身。
透き通るような白い肌。
赤い瞳に強い光を宿した両目。
裾の長い黒衣には金糸で龍の刺繍が施されており、
中国の宮廷人あるいは寺院の高僧が着ていても違和感ない上物である。

しかし、そんな特徴的な外見をしているのにも関わらず、
舞は目の前の対戦相手が本当にそこに実在しているのかを疑った。

この人、気配がない――――
舞が覚えた違和感を一言に集約するならそれに尽きる。

シェンを追い詰めた時、声をかけられるまで舞は
男の存在を察知することができなかった。
それは今、こうして正面から向かい合ってみても似たような状況であり、
男がどんな攻撃を仕掛けてくるつもりなのか、彼女は全く読めずにいた。

迂闊に手を出すわけにもいかず、舞が考えあぐねていると―――

「不知火流忍術とやらが、どれ程のものか見せてもらおう」
にらみ合う二人の沈黙をデュオロンが破った。

蹴りも拳も届かない間合いから、彼は右足を掲げ、
そして即座に振り下ろしてみせる。
すると―――

びゅがっ!
「うっ!?」
突然、舞の右腕に衝撃が走り、彼女は鉄扇を取り落としていた。

足袋に包まれた右足で、落ちた鉄扇を小さく蹴りあげ、回収しようとする舞。
だが、彼女の手に収まるよりも早く、再び足下の地面から
せり上がってきた影――それは黒く長い脚のようにも見えた――
によって、扇は、彼女の遥か後方に弾き飛ばされてしまう。

「くぅっ!」
胸元から予備の鉄扇を取り出し、牽制の“花蝶扇”を放とうとするが、
体を捩じったバックスィングの動作中に、
またしても地面から影が伸び、舞の右膝を強打する。

技を潰され動きが硬直した舞を、デュオロンは狙いうちにしてくる。
シュッ!ビュッ!ビシッ!
「うっ…くっ…はっ!…きゃっ」

本来彼女が得意とする中・遠距離戦で攻撃のきっかけすら与えてもらえない。
デタラメな間合いから次々に繰り出される攻撃に、
防戦一方になってしまった舞は、たまらず地面を蹴って空中に逃れる。

そして両膝を抱え込む姿勢で一回転し、
その勢いで斜め一直線に、地上のデュオロンに襲いかかる。
「ムササビの舞!」
決勝トーナメントの常連選手でも対応困難な高さから繰り出される、舞の空中攻撃。

だが、壁を蹴って宙に跳んだデュオロンの痩躯は、舞のさらに上にあった。
「そんなっ!?」
声を発した時には既に、彼の手刀が舞の背中に迫っている。

空中で体を捻り、辛うじて手刀をかわした舞は、デュオロンと同時に着地した。
二人の間合いが消滅し、接近戦に移行した今、後手に回っては不利である。

「龍炎舞!!」
後腰から延びる尾布を舞が旋回しながら振るうと、
尾は紅蓮の炎を纏ってデュオロンに直撃した。

「えっ?」
その呟きを発したのは、舞の方だった。

おかしい――――
視覚以外の感覚が舞に違和感を訴える。

炎が爆ぜる音がしない。
服が焦げる匂いがしない。
技を当てた手応えがない。

“龍炎舞”で胴薙ぎにされたデュオロンの全身は赤い業火に包まれ、
瞬時に白骨となって崩れ落ちていく。

これは…幻術……!?
この男も私と同じく忍者!!!?

その事実に気付いた舞の側頭部に、強い衝撃が走る。
「がっ!?」
幻術にかかった舞が呆けていた僅かな隙に、
彼は死角である空中から右回し蹴りを放っていたのである。

蹴りの反動を利用して、そのまま二回、三回と
追撃の回し蹴りが頭上から迫ってくる。
そのどちらもが、舞のこめかみを正確に狙った鋭い蹴りである。

「くうっ」
皮製の手甲を削られながらも、舞は二発目の左を懸命にそらす。
続く三発目の右は、地面に伏せることでやり過ごし、
石畳の上を転がって距離を取る。
そして素早く立ち上がろうとした時―――

舞の右足首を、太いロープのようなものが絡めとった。
「きゃっ!?」
強く引き倒され、バランスを崩された彼女は、
その場で派手に尻もちをついてしまう。

一体何が―――?
見ればデュオロンの長い辮髪が、鞭の如く前方に伸び、
足袋に包まれた舞の足首に何重にも巻きついている。

男ながら、膝裏まで達しそうな異様な長さの後ろ髪が、敵を捕える武器となる。
髪の毛を暗器にするという、不知火の古文書にも存在しない発想と
執念に、舞は敵の暗殺術の深淵を垣間見た気がして身震いする。

「このぉっ!」
地面に尻をつけたまま、舞は鉄扇を開き、足に絡まった頭髪の束を斬ろうとした。

「そうはさせん」
前屈み気味に姿勢を低めていたデュオロンが、
その長身をグンと引き起こすと、
舞は、右足首を巻かれたまま逆さ吊りにされてしまい―――
――そのまま空中で振り回される。

「うああぁあああああっ!?」
舞の目に映る景色がグルグルと二回転、三回転し、
捕らえられていない方の脚がだらしなく開いてしまう。

いかに彼女が日頃の鍛錬とダイエットによる、軽量の女性とはいえ、
それをぶら下げて平気な髪の強度と、首の強さは異常、異質と言わざるを得ない。

股座をパックリと開いた不自然な姿勢のまま、勢いよく放り投げられる。
地面に落ちる直前になんとか持ち直し、不恰好に着地した舞であったが、
呼吸を整える暇も与えられない。

「いくぞ」
離れた間合いを即座に縮めんと、デュオロンが突進してくる。

は…速い!!

舞は迎撃のため鉄扇を構え、その刹那―――――
男の長身が突如ブレ、視界から消え去った。
「なっ!!!!!?」

それは“飛毛脚”と呼ばれる飛賊秘伝の移動術―――
それはあまりに、あまりにも速く、
舞の優れた動体視力をもってしても、わずかな残像しか捉えることは叶わない。

「ハィィィ!」
裂帛の気合とともに弧を描いた舞の扇子は、
完全に一呼吸以上遅れており―――
誰もいない空間をむなしく縦に薙いだ。

「こっちだ」
無味乾燥した声は彼女の背中に投げかけられ
「あの不知火舞が完全に背後を取られた!!?」
KOF史上初めての光景に、観客からどよめきが起こる。

「くっ!!龍炎―――」「遅い!!」
ドムッ!
「んぐっ!!」
振り向いた舞の胸に、デュオロンが水平に突き出した掌底が刺さっていた。
豊かな胸の膨らみで衝撃が緩和されぬよう、
谷間に狙いを定めた掌圧に、舞の体がグラリと揺れる。

ドズッ!!
完全に動きが止まった舞の腹に、間髪いれず、膝蹴りが吸い込まれた。
「あぐぁっ………!!」
鈍く重い痛みを伴った衝撃に、舞の体が“く”の字に折れ曲がり、目に涙が滲む。
鳩尾に深々とめり込んだ男の膝を両腕で抱え込もうにも、
内臓にまで達する衝撃に、舞の全身から力が抜けていく。

マズイ、このままじゃ……。

密着に近い距離から再び掌底を、
しかも左右の手で同時に伸ばしてきたデュオロンの姿が目に映るが、
体が痺れて言うことを聞かない。
悶絶しながら腹を押さえていた舞の両手に、男の青白い掌が重なり――――

ドッドンッ!!
ダメ押しの振動は、なけなしの防御を張っていた彼女の両手を
あっさりと浸透し、内臓を激しく揺さぶった。

「ぶううっ!」
皮肉にも自身の手の平で自分に掌底を喰らわせる結果となった
舞の口から、逆流した胃液が飛沫となって外気に触れる。
ピチャッ
対面するデュオロンの頬に付着したそれは赤みを帯びており、
さらに咥内に残る苦味から、舞は自分が吐血したことに気づく。

膝が震えている。
負けない―――こんなところで倒れるわけには――――

その場で崩れ落ちそうになるのをなんとかこらえ、彼女は前方を睨みつける。
だが、――――

「えっ?」
舞が目にしたのは一面の闇だった。
真正面に立っているデュオロンの姿を除き、
舞の周囲は上下前後左右、360度、全てが闇に覆われていた。

暗いのとは違う。
なにも見えない。
なにも存在しない。

自分たちが今闘っているはずの街の白い壁面も、
足下に広がるはずの石畳も、夕暮れの空も、
試合を見物にきた野次馬たちも、全てが一切合財消えていた。

またしても幻術にかけられた―――?
それとも結界の類に閉じ込められた――――?

いずれにせよ、術者を叩く以外に活路はない。
頭の中で警戒警報が最大レベルで鳴り響くなか、
舞は体内の“気”を練り、旋回しながら尾布を振るった。

「龍炎舞!!」
“気”を火種にした、火薬いらずの火遁術、“不知火の焔”―――
不知火流忍術を、そして不知火舞を象徴する紅蓮の炎が尾の先端部分に灯る。
しかし―――

「無駄だ」
点火されたばかりの炎は、周囲の闇に喰われるかの如く
みるみるとしぼんでいき、消滅してしまう。

炎を失い、単なる布に戻った尻尾の横薙ぎを、デュオロンは造作なく受け止めた。
「悪いが火遁術への対処はそれなりに心得ているつもりだ。
俺の知り合いには、お前以上の炎の使い手が二人程いるのでな……」

そして右手で掴んだ舞の尾布を横に払いのけ、彼は言葉を続けた。
「今度は俺が見せよう。飛賊秘伝の術を――――」

闇の中、回れ右をして舞に背を向けた黒い長身から、
煙のようなものが次々に立ち上る。
最初は糸のように細かった“それら”は伸びるに従って肥大化し、
先端は丸みを帯びて不吉な形を成していく。

舞は思わずヒッと声をあげていた。
気丈で肝の据わった彼女にとっても、それはなんともおぞましい―――――
顔。顔。顔。顔。顔。顔。

それは正に、人の顔面から肉と皮を極限まで絞り取った、
髑髏と木乃伊の中間とでも言うべき異形の顔の大群であった。
大きさは人の頭よりも気持ち大きい位だろうか。

明らかに現世の存在ではない“それら”は、鬼火のように、
人魂のように尾を引きながら、ただし恐るべき速度で
闇の結界内を縦横無尽に駆け回り、獲物である不知火舞を“喰い始めた”。

艶やかな忍装束から露出した脇を、上腕を、首を、太股を、臀部を―――
撫でるように、絞めつけるように、叩くように、斬り裂くように――――
掠め飛びながら、無数の怨霊は包囲の輪を徐々に狭めていき、
舞の体に纏わりつき、縛り上げていく。

そして怨霊たちは喰った。
つい先ほど“龍炎舞”の炎を吸収分解した時と同様に。

舞の“気”を、精神を、そして体力を貪り喰った。

彼女の肉体運動を司る中枢神経は、既に彼らに掌握されており、
舞は倒れることも、抵抗することも許されない。
デュオロンと二人きりの魔空間の中、
召喚された亡者の大群に蹂躙されるのみである。

「きゃあああああああああああああぁぁぁあああぁぁあああ!!!!!!」
血液が凍りつき、内臓が壊死しそうな寒さの中、
舞の喉はあらん限りの声を絞り出していた。


4.
「なんだよ…ありゃあ……」
一般常識を逸脱した眼前の光景に、シェン・ウーは口を半開きにしていた。

「なんだかつまらないネ…正直ここまで一方的になるとは思わなかったヨ。
ボクもあのお姉さんには少し興味があったんだけどなぁ」

口ではそう言うものの、自前のネイルアートで彩った人差し指を顎にあて、
アッシュ・クリムゾンは、初めて見るデュオロンの奥儀に魅入っている様子だ。

彼らが見守る試合会場中央には、大人二人をちょうど包み込めるサイズの
黒い球体状の空間が発生していた。
デュオロンが作った結界である。

白い街並みが夕日に染まる平穏な景色の中、漆黒の結界は強烈な異彩を放っている。
アッシュやシェン、そして観客など、外部から結界内の様子を目視することは
かなわず、中でどんな攻防がやり取りされているかは分からない。

TV中継のため大型カメラを構える撮影クルーも、黒い空間に近づくのを恐れ、
困惑している様子である。

しかし、彼らは全員耳にしていた。

「きゃああああああああぁああぁああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ―――」
絹を裂くような甲高い女性の悲鳴が、果てることなく結界内から漏れ出しているのを。

それは正に、デュオロンが舞を追い詰め、女性格闘家チームの全滅が
秒読みに入った証拠に他ならない。

「終わりだな…」
今日の試合内容に物足りなさを覚えながらも、シェンはベンチの荷物をまとめはじめる。
アッシュもそれに続こうとしたが、ふと足を止め、試合エリアを振り返る。
そして彼は見た―――――

「あはっ♪やっぱりそうこなくちゃ」

アッシュの視界で、ひとつの異変が起こっていた。
デュオロンの結界に、無数のヒビが入っていたのである。
続けて結界の天井部が突き破られ、紅蓮の火柱が立ち上がった。

「草薙君や八神君には及ばないけど、ここまで炎を操れる日本人が他にもいたんだネ。
“不知火の焔”か……。あの三人に接触する前に予行練習をしておくのも悪くないか」

そうひとりごちる彼の口元には笑みが浮かんでいた。
面白そうなオモチャを発見した子供によく似た、混じり気のない純粋な笑顔が―――


5.
―1カ月前。イギリス、ロンドンの酒場街―
キングが経営する「バー・イリュージョン」にて

「今回のKOFは、アンタをチームリーダーで申請登録しておいたよ」
バーテン服姿のキングの言葉に、舞は飲みかけのアイスティーを
危うくこぼしそうになった。

「ちょ…!?いきなり何を言っているの、キングさん。
今回のメンツであたしがリーダーなんて……。マリーだって納得しないんじゃ……」

「年功序列ってやつかい?意外だねぇ。日本のサラリーマンみたいな
価値感をアンタが持っているなんてさ…。それにマリーにはとっくに相談してあるさ。
アイツも舞がリーダーで問題ないと言っていたよ」

「ウソ?」
「本当さ」

「でもあたし、昨日のスパーリングでキングさんに負けちゃったよ?本当にいいの」

それなりに気心の知れた仲とは言え、彼女たちにも格闘家としてのプライドがあり、
不必要な馴れ合いや譲り合いなどは、決してしない。

そのためか、女性格闘家チームでは、メンバーは頻繁に変化すれども、
実戦経験が豊富でかつ戦闘能力の高い年長者がリーダーとなるのが、
暗黙の了解となりつつあった。

舞とて幼少の頃から祖父の指導の下、
過酷な修行に身を置いていた生粋の戦士であり、
ユリ、香澄、雛子らと出場した2000年大会ではリーダーを務めている。
しかし、あの時はチームで最年長かつ実戦経験が一番豊富なのが間違いなく
自分だったからである。

初めて女性格闘家チームを結成して以来、チームリーダーへの
就任経験が最も多いキングがいる今回は、当然彼女がリーダーを引き受けるだろうと
舞は考えていたのだが。

「12勝8敗――――」
「?」

「初めて会った時から昨日までに数えた私とアンタの対戦成績だよ。
記念すべき最初のファイトは舞とユリの二人を同時に相手にして、私の完全勝利。
一緒にKOFに出ようと突然上がり込んできた二人の娘を、
私はコテンパンにのして店の外に叩き出した。
まぁ結局、丸一晩、店の前で野宿されて、私が白旗を上げることになったが……」

「そ…そんなこともありましたね…ハハハ……」
世界最強の女の子は私だと、微塵も疑っていなかった頃の自分を思い出し、
舞は苦笑いする。

「その後もKOFに向けた実戦トレーニングで、
また時には敵チームとして大会でアンタと闘うこと20回。
当初は8割を超えていた私の勝率は、6割にまで落ち込んでいる。
直近の3試合に関しては、舞が2勝1敗と勝ち越しだ。
だからアレだ………。
自信を持ちな。アンタは強くなった。
もう私がチームリーダーをやらなくても大丈夫なくらいにね」

そこまで言って急に照れ臭くなったのか、
彼女は舞からプイと目線を逸らし、ワイングラスを磨き始めた。
「キングさん―――」
人を褒めることが苦手なキングの不器用な、しかしそれ故
嘘のない激励に、舞は胸が震える思いだった。

「ハハッ。しっかり頼むよ大将。なぁに、アンディ君のお兄さんやリョウみたいな、
化け物相手でなけりゃ、私が確実に一人は倒してやるさ。
二人目も相当消耗させる自信はある。マリーも同じだろう。
私たちが仕留め損ねた相手にだけ、舞は集中してくれればいいんだ。
優勝しよう、今度こそ」

不意に目頭が熱くなり、舞はカウンターの向こうで作業に勤しむキングの背中に、
コクリと小さく頷いてみせるのだった。


6.
「不知火流、究極奥儀!!」
印を結んだ舞の凛々しい叫びと共に、巨大な火柱が真上に伸びる。

“龍炎舞”とは比較にならない熱量と規模を伴った灼熱の業火は、
舞を襲っていた怨霊の群れを一掃し、周囲の闇を打ち砕いた。

「ぐっ!!!!」
巻き添えを恐れ、後方に飛び退いたデュオロンの顔に、
この試合で初めて狼狽の色が浮かんでいる。

彼を驚かせたことは三つあった。
一つ。常人ならば発狂するか絶命しても不思議ではない怨霊の攻撃に耐え、
不知火舞が反撃をしてきたこと。

二つ。破られるはずのない“秘伝・幻夢怨霊壁”を破壊した舞の火遁術。
その威力は、彼の幼馴染にして、飛賊四天王に名を連ね、
一族で最も炎の扱いに長けた、「乱」という名の女戦士と比べても、
なんら遜色のないものであったこと。

三つ。体力で自分に勝るとは到底思えない舞が、
消耗しきった肉体でなお脚力を維持し、猛然と攻撃を仕掛けてきていること。

鉄扇を利用した突きが二度、三度と鼻先を掠め、
軌道を変えての横薙ぎが頬を浅く傷つける。

脛を狙った下段の蹴りを、小さく跳ねて回避すると、
舞も空中まで追いかけてきて、重ね合わせた両の拳で、
すれ違いざまに肩を撃ってくる。

違うぞ、これは。
この娘の体は、間違いなく限界寸前だ。
技のキレも拳の力も明らかに落ちている。

「トォォォオオオオ!!!」
側転して低空を飛んできた舞の肘鉄を胸に受け、後ろに吹き飛び、
この試合、初めて背中で地面の感触を味わいながら、デュオロンは自覚した。

不知火舞がスピードを維持しているのではない。
俺の動きが鈍くなっているのだ。
俺の奥儀を喰らった不知火舞以上に、
奴の奥儀を喰らった俺がダメージを受けていたのだ。
印を結んだ姿に危険を察知し、咄嗟に後ろに飛んでいなければ、
俺は或いは焼き殺されていたかもしれぬ。

倒れた姿勢から上半身を起こし、改めて自分の体を検分してみれば、
黒衣の至る所が焼け焦げて形を崩しており、服の下の皮膚も火傷に疼いている。
両脚の火傷が思ったよりも酷い様だ。
立ち上がろうと膝に力を込めた時、デュオロンは思った。

長年の修行で痛みや苦痛に慣れ過ぎていたせいか、
肉体の変調に気が付かなかった。
反省しなければ。
こんな調子では“あの男”を討つことなど到底叶わない―――

蟷螂拳にも似た構えで、彼は再びファイティングポーズをとってみせる。
試合続行の意思を見せるデュオロンを目にし、舞は

「悪いけど、この後さらに二人相手にしないといけないの。
あたしの奇跡の三人抜きを演出するためにも、
そろそろ倒れてくれると嬉しいんだけどなぁ」

そう不敵に言ってのけ、再び、溜めていた“気”を解放した。
ボッ!
“陽炎の舞”が彼女を芯にした火柱だとするなら、
たった今発現したのは彼女を包む炎の鎧。
この技こそ、不知火流忍術における火力最大顕現の
ひとつである舞の切り札―――

「超 必 殺 忍 蜂 !!!」

側転から超低空飛行に移行するのは忍蜂と同じモーションだが、速さは格段に速い。

まだこれ程の技を隠し持っていたとは―――
だがそれは俺も同じこと。
冥府の扉を僅かに開け、デュオロンは死霊の束を掴み出す。

結界を作り出す力は残っていないため、
自らの髪一本一本に憑依させることで魂魄を具現化させる。
体を捻って後ろから前へ。
デュオロンが大きく頭を振ると、長い辮髪が逆立って前方になびき、
十万の魂魄を融合させた巨大な霊弾が発射された。

「耐えられるものなら耐えてみろ」
不吉な灰色をした塊は、もの凄い速さで直線上に飛び、
炎を纏って突っ込んできた女忍者に直撃した。

やったか?

しかし、一瞬動きが止まったかに見えた不知火舞は、
技の構えを崩すことなくデュオロンに向かって突進してくる。
迎撃を喰らったことで炎の勢いは衰え、スピードも落ちてはいるが、
二人の距離はすでに3メートル程度まで縮まっている。
もはや彼には、舞の突進を防ぐ術はない。
火力を削がれたとはいえ、手負いのデュオロンを昏倒させるには
十分な威力があの炎にはあるだろう。

“幻夢呪怨死魂”まで破られたか。
認めよう。この場は俺の負けだ。
もしもこれが―――

「そう、もしもこれがもし個人戦だったらネ」

無言のつぶやきに対し、応える声は正面からきた。
赤いジャケットと赤いパンツ。
ウェーブのかかった銀髪。
チーム・上海において、最年少ながらリーダーを務める、三人の中で唯一の欧州人。

突如間に割って入った少年は、デュオロンを庇う形で仁王立ちし、
突き出されてきた舞の肘を、両手で受け止めていた。

通常ならば、舞の勢いに力負けしてガードを崩されるか、
それ以前に彼女の全身を覆う炎に焼かれて致命傷を負っている。
だが、少年は怯むどころか涼しい顔で“超必殺忍蜂”を防ぎ、
なんと、押し返そうとすらしている。

なぜそのようなことができるのか。
彼とチームメイトであるデュオロンは、その理由を知っている。
彼、アッシュ・クリムゾンこそが、デュオロンの知人の中で、
飛賊四天王のランにも並ぶ――――

「デュオロン、お疲れ様。獲物を横取りするようで悪いんだけど、
ボクもこのお姉さんに興味が出てきちゃった。譲ってもらってもいいかな?」

「任せる」
短く告げて、デュオロンは戦闘スペースから離脱する。
今年のKOFはルール上、試合途中の選手交代は自由となっている代わりに、
前の選手は5秒以内に戦闘から離脱しなければ、チームが失格負けとなって
しまうためである。

「マルチシフトによりチーム上海が選手交代。
デュオロン選手からアッシュ・クリムゾン選手にバトンタッチ」

「しまった!!」
シェン・ウーに引き続きデュオロンまでも討ちもらした舞が
露骨に顔をしかめるが、アッシュの堅い防御に阻まれて先に進めない。

「彼を倒したければ、このボクを先に倒せ!!―――なぁんてね♪」
ヘラヘラと笑っている少年の両手に肘を打ち込みながら、
舞は心中焦りを募らせていた。
一体なんなのコイツ。
あたしの“超必殺忍蜂”が全く通用しない――――
あたしの炎が――――
なにかに中和されている?

自分の肘とアッシュの手の間に生じた、エメラルドグリーンの
揺らめきを、舞は見ていた。
その揺らめきは、どうやら彼の手から生み出されているようであり―――
はじめ、蝋燭の先端ほどしかなかった“それ”は、
舞の眼前でみるみると肥大化していった。

「初めまして不知火舞さん。ボクはアッシュ・クリムゾン。
さて、飛賊VS忍者の死闘でお疲れのところ悪いんだけど、
君にはもう少しつき合ってもらうヨ。次の死闘のお題は〜」

自己紹介の間にも、緑の光は膨張して人の拳大になり、
頭部に匹敵する大きさになり、
それでもなお拡張を続け―――
ついにはアッシュの上半身が見えなくなる程の、巨大な豪火球となった。
炎――――
緑色の炎――――!!!
目を丸くしてそれを見つめる舞に対し、アッシュは笑顔でお題を告げた。

「炎VS炎でヨロシク♪」

舞の赤とアッシュの緑。
炎と炎のせめぎ合い。
しかし、デュオロンの技で既に威力を殺されていた彼女の
炎に勝ち目はなく、赤と緑の拮抗はすぐに崩れ去った。

「くっ…ううぅ…くっ……あ……!!!?」
ブスブスと黒い煙を上げ、舞の肢体を包む忍装束が、焦げた匂いを立て始めたのだ。
耐火性の限界を迎えた極薄の闘衣に、緑の炎が瞬く間に燃え広がる。

同時に、翡翠の色をした大きな火の玉が、ゆっくりと、
舞に向かって前進を始めた。
既に接触していた肘に続き、手甲に護られた右腕が、
次いで右肩、そして全身が豪火球に飲み込まれていく。
炎の前進速度が極めて緩慢であるため、
舞は実に長い時間、炙り焦がされ苦しむこととなった。

ヴぉぉぉぉおおおおおぉオォォォォォォオオオォオォオオオオオオオ
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

切り札である“超必殺忍蜂”を打ち破られ、
灼熱の火球を押し当てられて絶叫する舞に、アッシュの追撃が容赦なく襲いかかる。
風を切って真下から競り上がってきたアッシュの踵がうなりを上げる。

ガゴッ
顎を打ち抜かれた舞の体が宙に浮く。

ボウッ
一拍遅れて、サマーソルトの軌跡をなぞった炎が奔り、
彼女をタテ薙ぎに焼き払う。

同じ動作が二回、三回と連続で繰り出される。

ガッ、ボゥッボボッ、シュバッ、ボボボッ

より高くに蹴りあげられ、緑の炎をさらに注ぎこまれ、
文字通り、全身を火ダルマにされてしまった女忍者は、
高々と宙を舞った後、背中からドサリと地面に落下した。

「…………………」
仰向けに寝転んだまま、彼女は立ち上がることができない。
その艶やかな衣装には、黒い縦縞が三本浮かび上がって炭化しており、
未だ燻り続ける火の粉がパチパチと跳ね、
焼け残った箇所からも細い煙が何本もたちのぼっている。

KOFの緒戦で華麗に炎を操り、
数多くの対戦相手を焼き焦がしてきた不知火舞が、
意趣返しと言わんばかりに黒焦げにされ、ぐったりと横たわる姿は
会場のギャラリーを静まり返らせた。

「うっ…けほっ……」
苦しそうにむせ返り、弱弱しく呻く声が、
彼女がまだ辛うじて意識を保っていることを物語る。

「うん、とってもいい感じだ。いい感じにズタボロで、いい感じに弱っているネ」

指先で炎を出したり消したりを繰り返しながら、
軽い足取りでアッシュは舞に近寄っていく。
このまま彼女にトドメを刺し、試合に幕を引くつもりなのだろうと、
誰もが思った。

「今なら抜きとることができそうだ。君の体から―――」

しかし、アッシュは倒れている舞をいたわるかのように優しく抱き起こした。
観客から見れば、舞は尻を地面につけたまま上半身だけを起こされて、
背後からアッシュに抱きしめられている格好となっている。

「さて…どこにあるんだろう?」
背後から舞の左脇に差し込まれたアッシュの左手が、
焦げた忍装束の薄布越しに、胸の膨らみを上下に擦り、
ネイルアートで彩った細い指先が、リズミカルに突起部分を刺激する。

普段の舞であれば、恋人アンディ・ボガード以外の男に対して、
ましてや知人友人でもない年下の少年になど、
このような屈辱的行為を許すはずがない。
即座に裏拳なり、鉄扇なりの一撃が飛んでいたことだろう。

しかし、悲しいかな、今の彼女はデュオロン、アッシュとの連戦で
ボロボロの状態にあり、朦朧とした意識の中、敵の腕に抱かれて愛撫され、
その意思とは関係なしに乳首を勃起させてしまうのだった。

「う〜ん。ここじゃないか……」
舞の上半身に目当てのモノがないと判断し、
アッシュの探索範囲は下半身へと移動する。
胸から腰へ、腰から太腿へと下降し、ついには
股間を覆い隠す赤い前垂れの下に、ゆっくりと右手を潜り込ませていく。

そんな、もはや公開レイプとしか言いようがない試合状況を、
報道のTVカメラは全世界へと発信していく。

女性格闘家チームの控えベンチは現在、もぬけの殻となっており、
舞を助ける援護攻撃も、選手交代も、ギブアップのタオル投入さえも存在しない。
この試合、チームメイトであるキングとマリーは、
敵先鋒のシェン一人によって既に倒され、
意識不明のまま医務室に運ばれていったからである。

「おっ?見つけた♪こんなイヤラシイ場所にあるなんてさすがはクノイチ」

布の破れる音がし、舞の秘部を窮屈に包んでいた真紅の下着が、乱暴に千切り剥がされる。
次いで、陰唇を覆う手入れされた恥毛の茂みが、綺麗に燃え尽きた。
股間に覆いかぶさっている前垂れは燃やすことなく、
しかし観客には見えないその裏側で、舞の性器を丸裸にするという器用な芸当を、
アッシュは涼しい顔でやってのけたのである。

ズブ……

「―――!!!?」
それまでぐったりとしていた舞の体が突如、ピクリと張りつめる。
貞操を守る防壁と呼ぶにはあまりに脆い下着と体毛を奪われた乙女の秘所に、
アッシュが指先を差し込んだのだ。

否、差し込んだというのは正確ではない。
指先のみならず、黒い薄手のグローブをはめたままの手の平全部と
手首に至る部分までもが、あり得ないことに、舞の股間に“沈み込んでいた”。

「ぁ…んぁ…あぁん…あ…かっ…」
より深くに侵入され、熱い吐息を漏らし始めた舞の体には、大粒の脂汗―――

「おぉ、これこれ」
ちょうど子宮に位置する場所で、彼の右手は“目当てのモノ”を探りあて、
それを掴んでみせる。
「――――んぁあぁあ!!!!!!」
途端に、舞の痙攣がより一層激しいものに変わる。
ピクピク程度だった反応は、露骨にビクンビクンと脈打つほどに大きくなり、
喉から絞り出される喘ぎ声も激しいものになっていく。

「あ…ひゅん…むぁ……くぅう…あぁあ……ああああああああぁぁあぁああぁぁぁあ」

黒目がちな瞳からは輝きが失われ、だらしなく開いた唇からはヨダレが溢れ垂れていく。
その乱れた姿は、戦闘時の凛々しさとのギャップも相まって、
凄絶なまでの妖艶さを醸し出す。

淫らに咲き狂ったくのいちを左腕で抱きしめながら、
アッシュは“宝物”を手にした右腕を、
乙女の聖域からゆっくりと引き抜いていく。

ズプ…ヌプ…ズズズ

挿入時の巻き戻し映像のように、前垂れの下から手首、掌、指の順で
アッシュの右手が現れる。
それと同時に――――

「かはっ……」

一際大きく身を強張らせた舞の四肢から力が抜け、一切の抵抗が消え失せる。

空を仰いで反り返った頭部が、そして束ねた黒髪がガックリと前に垂れ、
彼女はアッシュの腕の中で朽ち果てていた。

「メルシー。貰っておくよ」
舞の股間から引き抜いた彼の右手には、淡い桜色の輝きを放つ、
小さな球体が握られていた。

暫し愛おしそうに眺めた後、アッシュが自分の胸にそれをあてがうと、
ピンクの光球は、彼の体に音もなく沈み込んでいき――――

―――そして姿を消した。


7.
夢を見ていた。
祖父、半蔵の下で忍者の修行に没頭していた少女時代の夢を。
初めて“不知火の焔”を発現できるようになり、
忍法“龍炎舞”を修得した日の夢を―――。

夢の中の舞は、抑えきれない興奮を胸に、里の山道を走っている。
目指す場所は、半蔵とアンディがいつも使っている修行の場だ。
一刻も早く見てもらいたい。
私の技を。“不知火の焔”を。
祖父に、そしてアンディに。

不知火家の者だけが使える秘術を、ようやく私もマスターしたんだ。
これって、私が不知火流の正統継承者としての資格を得たってことなんだよね?
おじいちゃんはどれだけ喜んでくれるだろう。

アンディはどれだけビックリするだろう。

最近じゃ力も技のキレも、アイツは私を追い抜いて、どんどん先に行っちゃう。
だけどようやく、日本語や学校の勉強以外でアンディに自慢できるものができたよ。

そうだ、久々にアンディに決闘を申し込んでギャフンと言わせてやるのも
面白いかもしれない。
前回の手合わせでは“斬影拳”でハメ殺しにされて負けちゃったけど、
今度はアタシの“龍炎舞”で黒焦げにしてやるわ。
ムフフ…いい気味だわ。
首を洗って待っていなさい、アンディ。

楽しい妄想を膨らませている間に、山の中腹にある修行場に着いた。
やっぱりここにいた。おじいちゃんとアンディだ。
むこうも私が来たのに気づいたみたいだ。

おや、舞じゃないか。戦闘用のくのいち衣装なんて着てどうした?
今日はお前の稽古は休みのはずだが。

エヘヘ…おじいちゃん。実はおじいちゃんに見せたいものがあるんだ。

言葉で説明するよりも実践してみせるのが一番だ。
精神を統一し、クルリと回って“気”を爆ぜさせる。

それ、龍炎舞!!
…………

あれ?おかしいな。何も起こらない。
もう一回だ。

龍炎舞!!
勢いよく装束の尻尾を振ってみるが炎は出ない。

龍炎舞!!!
龍炎舞!!!!
りゅうえんぶ!!!!!!
…………
…………

どうして、どうして?“不知火の焔”が出ないよ。
おかしいよ。ついさっきは何度やっても成功したのに。
なんだか、おじいちゃんとアンディが私を見る目が冷たい。
マズイよ…。今度こそ成功させなきゃ。
龍炎――――
何度目になるか分からない旋回を試みた時、
たまりかねた半蔵が舞の肩をガッシとつかみ制止した。

「舞、いい加減にしなさい。お前のイタズラに付き合っている程、
ワシらには時間はないのだ」
イタズラだなんてそんな……

「悪いけどボクにとって忍者の修行は、君のように習い事の一つとして
取り組んでいる訳じゃないんだ。遊び半分とは違うんだよ」
ヒドイ。アンディまで何を言っているの。

二人は隠し通せていると思っているみたいだけど、私は知っている。
アンディが日本にやって来たのは、人を殺す力を身につけるためだということを。
そして、近い日にアンディがこの里を出て行くつもりであることを。
それが彼にとって、生きて帰れないかもしれない旅への出発であることも、
私は知っている。

知っているからこそ、私もこの何ヶ月間、一人で猛特訓して
“不知火の焔”をマスターしたっていうのに。
アンディの力になりたかったから。

たとえ彼がそれを望まなくても。
たとえ祖父に反対されようとも。
たとえ掟を破って里を抜けることになろうとも。
アンディを一人で旅立たせはしないと心に誓っていたというのに。

「しょせん女子に不知火流を継がせるのは無理だということなのか……」
「―――――――――っ!!!!!!!!!!!?」
ため息交じりに半蔵がつぶやいた一言が、舞の心を粉々にした。
顔から血の気が失せ、全身から力が抜けていく。
抗議の言葉をあげたくても、喉はカラカラで声が出ない。

どうして―――――――
どうしてこんなことに―――――――
不知火の焔さえ出せれば、こんなことにはならなかったのに。

違う―――

違う―――
あの日、私は二人の前で“龍炎舞”を見事に成功させたはずだ。
半蔵は「これで舞も立派な不知火流くのいちだな」と太鼓判を押してくれたし、
滅多に笑顔をみせないアンディですら「おめでとう。ボクも負けてられないな」と、
舞の手を強く握ってくれたのだ。

そうだ。それが正しい記憶だ。
だから今見ているのは悪夢に過ぎない。
そもそも、どうして自分は今更こんな夢を見ているのか。
早く目を覚まさなければ。
“不知火の焔”を自在に操れる現実に早く戻らなければ。


8.
悪夢から目覚めた人間が、その悪夢よりも更に酷い現実に放り込まれた時、
人は目を覚ましたことを永遠に呪うことになる。

「りゅ…龍炎舞!!!」
迫るアッシュに対し、気合とともに術を唱えるが、今や彼女の声は悲鳴に近い。
「ハハッ…ざ〜んねん。君の力はもう君のものでなくなってしまったので炎は
出ませぇ〜ん」

アッシュの腕の中で目を覚ましてから、これが五回目となる
“龍炎舞”はやはり不発に終わり、マッチを擦った程度の炎さえ発生しない。
まるで夢の続きを見ているかのような現状に、舞の呼吸は乱れに乱れ、
軽い眩暈すら覚えていた。

以前のKOFで神楽ちづると闘った時、彼女の奥儀によって舞は
“不知火の焔”を封印されてしまったことがある。
炎を失った舞は攻め手を欠き、やがて体術も見切られて、
ちづるに敗れたという苦い経験である。

あの時と状況は似ているが、決定的に異なる点を、舞は感じ取っていた。
ちづるの封印は、見えない鍵を体内に仕込まれて、
力を外に放出できなくなる感覚だった。
それに対し、舞が現在陥っている状況は――――

――力の喪失。
あの日以来、常に体の奥に感じ取ることができた―――
―――ちづるの封印術を喰らった時ですら感じられた、
先祖の加護ともいうべき強く温かい力の存在が、今は全く感じられない。

舞の体から“不知火の焔”が、不知火家の血統者に流れる一族の
秘術が消滅してしまっているのである。

火遁が発動せず、ただの布きれに過ぎない舞のしっぽが、アッシュの右手に掴まれる。
「よっと」
そのままグイと引き寄せられバランスを崩された彼女の顔に迫る、少年の拳。
緩やかな左フックが舞の頬に刺さり、右アッパーが顎をはねつける。

「ぅぷっ…あっ…」
シェンの激拳に比べれば生温いものの、それでも、細く小柄な女性にとって、
ましてやボロボロの舞にとっては十分な重さの打撃である。
苦しげに歯を食いしばり、舞はガニ股でなんとかその場に踏みとどまっている有様だ。

加えて、アッシュの蹴り技が、拳打以上の脅威となって彼女を追い詰める。
脛を狙ったロー。
首筋を狙ったハイ。
腰や脇に狙いを定めたミドル。
空中からの浴びせ蹴り。

上中下段、不規則に繰り出される多彩なキックは、
彼女に防御の的を絞らせないばかりか、
ガードの上からも舞の体力を容赦なく削り取っていく。

“龍炎舞”さえ―――“不知火の焔”さえ使えれば――――
体の痛みが、これが夢ではないと否応にも自覚させる。

「ひょっとして、ボクが炎しか能がない男だとでも思っていたのかな?
だとしたら甘いネ。実に甘い」

剃刀の如き鋭さと速さは、或いはキングの足技すらも凌ぐかもしれない。
それを受け続けた痣だらけの腕と脚は鬱血を起こし、舞の身体機能、
特に最大の武器であるスピードが、著しく低下していることを如実に示している。

「まだよ…まだ……まだ負けるわけには………」
息も絶え絶えに、彼女はアッシュを睨みつける。
女性格闘家チーム最後の砦となった自分が倒れれば、
その瞬間チームの初戦敗退が決まる。
そんなの嫌だ。今度こそ優勝しようってキングさんと誓ったのに。

チームリーダーとしての重い重圧が逆に、窮地の舞を支えていた。
もし自分が先鋒か次鋒で今の状況に立たされたら、
玉砕覚悟で捨て身の攻撃に出ていただろう。
男勝りで気が強い彼女は、少女の頃から攻撃的なスタイルで試合展開するのを好み、
それが時には彼女の動きを粗雑なものにし、敵に足元をすくわれる要因にもなっていた。

自分が大将であり、チームに後がないからこそ、
彼女は冷静な思考力を保ち、敵の猛攻に耐え、機を窺う余裕を持てていた。
その点で、舞をリーダーに据えたキングの英断は大成功だったといえよう。

しかし、その双眸に光を取り戻しかけた彼女を一瞥したアッシュは、
不気味に微笑むと、地面を蹴り、低いジャンプで舞に襲い掛かった。

頭上から降ってきた踵落としを、舞は交差させた両腕でガードする。
「ぐっ!」
衝撃によろめく彼女の眼前に着地すると、
アッシュはがら空きになった舞の脇を狙って、
とっておきの魔法を披露してみせた。
孤軍奮闘する舞の精神を陥落させ、
女性格闘家チームを瓦解させるための、とっておきの魔法を―――

「それ、リュウ・エンブ♪」
嘲笑と共に振るわれたアッシュの右腕が、舞の胴部を横一文字に通過する。

すると、なんとしたことであろう。
空気を焦がす臭いと共に、先ほどの緑とは異なる、深紅の―――
―――“不知火の焔”にそっくりな紅蓮の火炎がほとばしったではないか。

単なる色の変化。
しかも火力は抑えてあり、威嚇程度の規模に過ぎない。
しかし、その効果はアッシュの思惑通り、絶大だった。

顔面蒼白で呆けたように立ちすくむ舞は、この瞬間思い出していた。
夢うつつの状態にあった自分がアッシュの手で犯され、
とても大切なものを体から抜き取られたことを。

同時に、自分が炎を出せなくなった理由を確信する。

奪われた―――
盗まれた―――
私の、“不知火の焔”がこの少年に―――

「言ったはずだヨ。君の力はもう君のものではないと。今この炎はそう――――」
「――――ボクのものさ!」

左方向にブンと薙いだ時と同じ勢いでアッシュが右腕を反すと、
二重に生じた分厚い炎の線は、三日月型の刃を形成し、舞めがけて発射された。
「きゃああああ」
二枚の炎の刃は、バックステップで逃げようとした彼女を輪切りにして飛び―――

次の瞬間、着物の合わせを留めていた舞の帯が真二つに裂け、
括り付けていた尻尾と共に地面に落ち、そして瞬く間に燃え尽きた。
「あっ…」
留め具を失い、装束の上着部分がはだけそうになる。
両開きでオッパイが晒されてしまう危機に陥った舞は、
咄嗟に右手で装束の腹部を押さえ込んでいた。

「へ〜ぇ。そんなイヤラシイ格好をしている割に、
人並み以上に女の子らしいところがあるんだ。だけど、無駄だヨ」
半笑いの顔で、その根拠となる箇所をアッシュは指差した。

「えっ?……!!?っや…やだっ!!」
アッシュが指摘したのは、至る所が焼け焦げて損傷し、
白い肌をチラリ、ポロリと晒し出してしまっている舞の忍装束であり、
より具体的に言うならば、豊満な両乳房によって薄布を押し上げている胸部の、
さらに先端部であった。

土を破って生えた芽のように、淡いピンクの乳頭が左右一組、
衣服の繊維を突き破って露出していた。
戦闘による興奮状態のためか、秘部を犯された快感の名残か、
両の乳首はビンビンに勃起して、硬く熱く火照っている。

舞の装束が、このように無惨に扇情的に傷んでいるのは、決して偶然などではない。
下着と陰毛を燃やした時と同様、
文字通り、針の穴をも通す神がかり的な制御で炎を操り、
アッシュは、くのいち装束の胸元に、極小の穴を二つ空けていたのである。

「このガキ、よくも……!!!!」
自分より2〜3歳は年下の少年にここまで翻弄され、
辱めを受けるとは予想していなかったらしく、
舞の声に狼狽を通り越して怒気が帯び始める。

「あれ?ひょっとして怒っている?」
当然のことを飄々と尋ねてくるアッシュの物言いに、舞の平常心はさらに乱れ、

「…さない……絶対に許さない!!」
顔を紅潮させて鉄扇を抜き、飛びかかってきた舞に対し、
アッシュがとった行動は―――

「うわあああああああああ!!!!うわああああああああ!!!!
お姉さんが怒ったぞぉ!!それ、逃げろぉ!!」

背を向けて全速力で逃げ出すことであった。

「まっ―――待ちなさい!!」
KOFの決勝トーナメントで、相手が逃げ出すという初めての経験に、
一瞬唖然とした舞であったが、慌ててアッシュの後を追いかける。

逃がすわけにはいかない。
あの少年を倒さなければ。
そして、“不知火の焔”を力ずくでも取り戻さなければ。

私の力。私の誇り。私の自信。
格闘家としての自分、不知火流継承者としての自分を象徴する紅蓮の炎。
祖父が、アンディが初めて自分を忍者として認めてくれるきっかけとなった
不知火流の秘術。
キングやマリー、ちづるが認め、ユリや香澄、
雛子や香緋が尊敬の眼差しを送ってくれる私の力。

あれを失ってしまったら、私は私でいられなくなってしまう。

装束の乱れも、乳首の露出も、今は気にしていられない。
「返せ、返せ、私の――――」
息が切れて言葉が続かない。

度重なるダメージで、舞の素早い脚力は見る影もなく、
二人の距離はなかなか縮まらない。
その事実が、彼女の焦りをより一層つのらせ、視野を狭め、
冷静な判断力を奪っていく。
自分がチームの大将であることすら、頭から消えていた。

舞は気付くことができなかった。
もし、キング、マリーのどちらか一方でも健在なら、
敵の意図に気付いて舞を呼び止めていたであろう。
今大会のルールを踏まえれば、アッシュの逃走が、
自軍待機スペース側に舞をおびき寄せるための罠だという、当然の帰結に。

「逃がさない!」
闘技場の最終ライン手前で足を止めた銀髪の少年に、
舞はありったけの鉄扇を投げつける。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。

「かかったね」
フンと鼻を鳴らしたアッシュの体から、巨大な火柱が天を衝いて伸び上がる。
“陽炎の舞”まで―――――!!?
瞠目する舞の眼前で、放った扇子は、燃え盛る壁に吸い込まれ、
一本残らず焼け落ちてしまう。

「お返しだヨ」
火柱の向こうから炎の刃が飛んでくる。
舞の闘衣を焼いた三日月型の火だ。
その枚数が半端でない。
5、10、15、――――20!!!

避けきれない。
ならばいっそ―――
燃やされることを承知で舞は弾幕の中を駆け抜ける。
この炎を目くらましに間合いを詰め、一気にアッシュを叩く算段だった。

しかし、火の海となった石畳を走っているのは、実は彼女だけではなかった。
「出番だヨ。シェン」
火柱と飛び道具で舞の注意を逸らし、その隙に場外に脱出したアッシュの横から、
チーム先鋒のシェン・ウーが、「ヨッシャ!」という叫びとともに滑り込む。

待機時間中に、負傷箇所の応急処置は済ませていたらしく、
マリーに壊された右肩と左足首も、無理やり元通りにはめられている。

煙と炎をやり過ごすのに必死だった舞は、突如シェンと鉢合わせする羽目になり、
そんな彼女に抵抗の暇など与えられるはずもなかった。
「じぇあぁ!!」
ごっ!
「ぐぁっ!」

最初の対決ではいとも簡単に避けられたシェンの頭突きが、
舞の額を石榴のように割り、真赤な花を散らせていた。
脳味噌を揺さぶる衝撃に、目玉が裏返りかけるが、
続けて撃ち込まれた右フックと左ボディアッパーが、
彼女に失神という安楽な逃げ場を許さない。

「であっ!うらぁっ!」
ビキッ!ボギボギィ!

アバラが数本折れる手応えを感じながら、
シェンはアッパーの左腕を更にせりあげる。
そのまま舞のポニーテールを掴み上げることで、
顔面が逃げられないように固定する。
そして――――

「ぶっとべ!!」
浅い捻転から繰り出した右ストレートは、
舞の顔を躊躇なく狙って伸びてくる。
これを喰らえば万事休すと、舞の本能は必死に防御の手を伸ばす。
だが―――

フェイント!?
彼女の美顔を破壊するかと思われた正拳は、
あと数センチのところでピタリと止まり、
その突きを防ごうと伸ばした舞の右腕は、
再び戦場に現れたアッシュ・クリムゾンに掴まれることとなった。

大会ルール上、アッシュの入場から5秒以内に、
シェンはリングを去らなければならない。
ただしそれは、裏を返せば5秒までならシェンとアッシュは
同時に存在していてもいいことになる。
そして、舞が誘い込まれた、チーム・上海待機スペース間近の
エリアならば入退場には1秒も要さず、
残り4秒をフルに活用することで、アッシュ達三人は、
往年のストライカー制度でもなし得なかった凶悪な連携技を、
舞に仕掛けることが可能なのだ。

ちょうど今、シェンとアッシュが二人がかりの疑似的な
当身を成功させたように――――。

「エイッ」
内肘を強打され、肘を曲げた舞の右腕が、
アッシュの左手を支点にねじり上げられる。

「うぅっ!?」
右肩に負荷がかかり、彼女の上体が前屈みになる。
そのままアッシュが両手で舞の前腕を頭の方へ引き上げると、
肩関節が極まり、彼女はちょうど、
腰から上を90度折り曲げて地面を見下ろしながら、
右腕は空に向かって垂直に捩じり上げられているという、
鳥の羽ばたきにも似た格好で固められてしまった。

シェンの頭突きで割られた額から、血の滴がポタリ、ポタリと落下する。
アッシュの火炎で帯を失い、左右にはだけた着物から、乳房がこぼれ、
舞の乱れた呼気に合わせてタユン、タユンと哀しげに揺れる。

そんな僅かな上下運動だけでも、
関節を極められた右肩がギシッ、ミチリッと悲鳴を上げる。
このまま、アッシュが力を入れさえすれば、
舞の肩は造作なく破壊されてしまうだろう。
さながら鳥の片翼をへし折り、もぎ取るかの如く残酷に。

かといって中途半端に抵抗すれば、
アッシュの意思に関係なく肩関節が外れてしまう。

動くに動けず、憎き少年を見上げることすら叶わない。
両開きに垂れ下がる装束から、胸の双丘とスリムに締まった腰、
滑らかな腹、その下に位置する不毛の陰門さえも晒し出した、
自らのあられもない姿が舞の網膜に焼きつけられる。
丸裸の秘所を見たことで、Tバックのパンティを奪われ、
恥毛を焼き払われた事実を今更のように思い出す。

「うっ…つぅ……チクショウ……」
悔し涙をこらえて舞は悪態をつくが、その声にもはや覇気はない。
そんな彼女に、風を切り、恐ろしい速度で接近するものがあった。

ヒュンッ!
「ッ!!?」

舞の細い首にスルリと巻きついたのはデュオロンの髪の毛だった。
男ながら膝裏まで達する異様な長さを誇り、
舞の全体重を支えても決して千切れない、
ワイヤーの如き強度を誇る、辮髪の姿をした暗器。

舞は自由を奪われていない左手で解こうとするが、
漆黒の長毛は幾重にも首肌に食い込んでおり、ビクともしない。

ギリッ、ギリリッ

「う、ぐあうっ……!?」
肩関節を極められ窮屈な姿勢でアッシュに抑え込まれたまま、
デュオロンの髪で喉首を締め上げられるという二重の責め苦の前には、
忍者として訓練された舞であっても、か細い声をあげずにはいられない。

「5秒のルールを忘れるなよ、アッシュ。すぐに外に出ろ」
「ウン。でもその前に――――」

ゴキィッ!
なんの悪びれもなく、アッシュは舞の肩関節を外してみせた。

「!!!!!!?んがぁぁぁああ!!!―――ッ―――――!!!!!」
舞が、右肩から脳髄へと突き抜ける電撃の如き激痛に耐え、
悲鳴を即座に噛み砕き、飲み込んでみせたのは、自分の力を盗み取り、
なおも愚弄と恥辱を与え続ける怨敵への、せめてもの抵抗のつもりだろうか。

しかし哀しいかな、肩の痛みで仁王立ちを維持できなくなり、
ガクリと両膝を折って地面に突っ伏し、尻だけを真上に突き上げ、
膝頭と額の二点倒立の姿勢でW字を描いて痙攣している舞の姿を映すTVカメラは、
彼女のささやかな意地も忍の矜持も人々に伝えはしない。

ましてや、下着も尻尾もつけず、ストリップ嬢さながらに、
肛門まで丸見えの尻たぶらを晒していたのでは、
説得力などあろうはずもない。

皮肉なことに彼女の意思を読み取ったのは敵であるアッシュ達のみであり、
それはさらに皮肉なことに、
この小悪魔的な少年の加虐心をより一層刺激する結果を招く。

「なんだつまらない」
彼はそう吐き捨てて靴底を舞の黒髪の上に載せ、

「もっと」
足に力を込め、
「いい声で」
彼女の後頭部を、
「鳴いてヨ」
何度も何度も踏みつけた。

世界の女流ファイターの中で五指に入るであろう、
華麗なくのいちの姿はそこにはない。
デュオロンの髪という首輪と紐で繋がれ、
四つん這いで調教を受ける卑しい雌犬に成り下り、不知火舞は地に伏していた。


9.
「うっ…うぅ……」

石畳との強制接吻で唇を切り、砂利を舌に絡ませた舞は
アッシュの気配が去るのを背中越しに感じていた。

だが、被虐の宴から解放された訳ではない。
彼女の喉首は依然、デュオロンの辮髪に捕えられたままなのだ。
それどころか、何重にも巻きついて肌に醜い皺を刻む十万本の糸状の凶器は、
さらに力を増して舞の首を絞めつける。
苦しい―――。

頸動脈が圧迫される。
苦しいよ―――。

舞の背中に跨ったデュオロンが、空いている両手で乳房を鷲掴みにする。
そのまま変則型のキャメルクラッチをかけられ、
海老反りにされた舞は、肺の空気を残らず絞り出されていく。

酸欠を起こした脳細胞が黄信号を点火する。
助けて、アンディ―――。

肩を外された右腕は動かない。
懸命に左手を動かすが、もがけばもがくほど、
“飛賊”のワイヤーの如き頭髪は、きつく深く、肌に食い込んでいく。

痛い―――。
指先にドロリと生温かいものが触れる。
死に物狂いに爪で掻きむしったのと、食い込んだ硬髪が肌を裂いたのが原因で、
舞の首は血だらけになっていた。

その左手も、程なくしてパタリと地面に落ちる。
目が霞み、生命の危機を訴える赤信号が、脳細胞に点滅し始めた時、

「降参しろ」
舞の耳元にデュオロンがそっと囁いた。

「我ら三人を相手に、たった一人でお前はよく闘った。
たとえお前がギブアップしてチームが敗れようと、
仲間はお前を恨みはしないだろう。退け。命の炎まで吹き消されたいのか」

無限を思わされる苦悶から解放される最初で、そしておそらくは最後のチャンス。
不意に敵がさしのべた慈悲の手を、しかし舞は拒絶した。
デュオロンが何気なく口にした「命の炎まで〜」という言葉に、
彼女は「不知火の焔を奪い返すまで負けてなるものか」
という闘志を再燃させたのだ。

もっとも、それは燃えカス程度の脆弱な意志に過ぎず、
あと一押しすれば砕け散り、二度と復元できぬ程に舞の肉体と精神は磨耗し、
追い詰められていた。

「やむをえん」
そう言ってデュオロンは、彼女の喉首を、髪の締め付けから解放する。
ゲホゲホとむせ返りながら体に酸素を取り入れる舞。

「アッシュ、シェン、あれをやるぞ」
石畳にへたり込み、両足で立つ力すら失った女戦士の両サイドに、
二人の人影が立つ。
デュオロンが舞の左脇に、アッシュが舞の右脇に、
それぞれ自分たちの肩と首を潜りませる。

「ボクに合わせてネ、デュオロン。いっせーの」
しゃがんだ姿勢から二人が立ち上がると、彼らの肩に支えられて、
舞は十字架磔のような格好で立たされた。
「準備オッケー。さぁシェン、やっちゃっていいヨ」

「さっきの話は本当なんだろうな?アッシュ。このネエちゃんの彼氏が、
あの有名なボガード兄弟の弟だって話はよ」

「本当サ。ここで一発ガツンと彼女を病院送りにでもすれば、
今回は不参戦の彼氏も、恋人の仇討ちにシェンのところに乗り込んでくるだろうね」

「いいねぇ。ゾクゾクするぜ。この話乗った!」
ガックリとうなだれ、目も虚ろな舞の正面、
約5m前方にシェン・ウーの姿があった。

彼の右腕は大袈裟なくらい後ろに振りかぶられており、
深い捻転はその上半身をほぼ真後ろに向かせている。
そして彼の拳には、待機中に溜め続けた力が、
眩いオーラとなって凝縮されていた。

「イ…いや…嫌……!!」
それを見た途端、蚊の鳴くような声で舞が突如カタカタと震え始める。
アンディやテリー、彼らの師であるタン・フー・ルーなど、
世界屈指の“気功”使いたちを身近に知る彼女には、
シェンの拳が自分にもたらす破壊の結末を、
あまりにリアルに想像できてしまったのだ。

イヤ。
嫌だよ。
あんなので殴られたら私……

「アハハ♪随分としおらしい、いい表情になったネ。
君のそんな顔が見てみたかったんだ」
外れた右肩を弄びながら、アッシュは舞の右腕を絶対に逃がさない。

「モゴッ!?」
口の中に無理やり布きれを突っ込まれ、ギブアップの声すらも封じられてしまう。
「返すよ。それ」
一体いつの間に拾っていたのか、口に押し込まれたのは、
舞の股間から引き千切った真紅のパンティであった。

左脇のデュオロンも、不動の石柱の如く、彼女の体を抑え込んでいる。
煤と埃にまみれた黒髪を振り乱し、乳房と尻を揺らしてイヤイヤをするが、
アッシュ達は、自分らの力を世界にアピールするための
生贄としてしか舞を見ていない。
情けはかけてもらえなかった。

「わりぃな。俺たちが優勝できたら、アンタらの病院代くらいは賞金でおごってやるぜ」
右拳を振りかぶったまま、雄叫びをあげてシェンが地面を蹴る。

「ウォォォォォォッ―――!!」
その踏み込みは、舞が最初に闘った満身創痍の彼とは別人のように速く力強く、
4mの助走距離を一瞬で消滅させた。
巻き込まれてはかなうまいと、
両脇から彼女を挟み込んでいたアッシュとデュオロンが、左右に離脱する。
「ドリャアアァアアアアア!!!」

ボゴォ!!

なんの防御姿勢もとれないまま、舞は鉄塊の如き拳を、鳩尾に叩きこまれていた。

この試合で既にキングとマリーを沈め、交代の暇すら与えずに葬り去った、
一撃必殺の拳である。
力を溜めた時間の長さと、ダラダラと舞を甚振り続けたアッシュの
試合展開に業を煮やした彼の鬱憤を考えると、
舞が浴びた一撃が、仲間の二人が受けたそれを遥かに超えることに
疑いの余地はない。

インパクトの瞬間眩い閃光が、拳に押し潰された舞の腹で爆ぜ、
最高速度のダンプカーに撥ねられたかと錯覚する程の衝撃が、
彼女の全神経をズタズタに焼き切った。

舞が意識を保てたのは、ほんの一瞬である。

ごめん、みんな―――――

その一瞬、舞の脳裏に浮かんだのは、チームメイトであるキングとマリー、
そして日本で彼女を待つ最愛の男性の笑顔。
フラッシュの嵐が焚かれる記者会見場で、彼女らとインタビューに応じる
舞の手にはKOFの優勝杯が握られており――――

その景色はたちまち、色を失ってモノクロの絵となった。

「んっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

低い呻き声を発した舞の体は、「く」の字では生温い、
「つ」の字或いはアルファベットの「U」を寝かしつけたような形で
真後ろに吹き飛んでいた。

闘技場の端から端へ丸ごと横断してもまだ勢いは落ちない。
場外に飛び出した彼女は女性格闘チームの待機用ベンチに激突した。
ベンチは真二つに割れ、クーラーボックスの飲料が外にぶちまけられる。

失速し、地面に落ちた舞の体が何度もバウンドする。
そのまま、頭頂部から後ろ返りでゴロンゴロンと3〜4回転した後、
舞の体はようやく動きを止めていた。

審判とTVクルーが慌てて駆け寄る。
そして彼女の姿を見た彼らは色々な意味で息を呑むこととなった。

不知火舞は、両腕に手甲、両足に足袋を装着しているのを除けば、
素っ裸に近い状態で地面に倒れ、白目を剥いて失神していた。
気絶している本人は知らないことだが、
女性格闘家にとっては最も屈辱的な、両腕は大の字、
両足はM字開脚、ダメ押しに脱衣状態という凄惨な格好である。

胸に隠し持っていた鉄扇は、骨格部から壊れてバラバラに飛び散っている。
留め具である帯を失った忍装束は、地面を転がった際、
股間を隠す前垂れを含めて左右にはだけしまい、
今の舞はおっぱい丸出しの状態である。
意識はなくとも体がまだ闘おうと足掻いているのか、
頻繁に繰り返される痙攣の度、胸の果実がフルフルと震えている。

トドメの一撃を喰らった腹部には、焼鏝をあてたかの如く鮮明に
拳の痕が刻印されており、それを除いたとしても全身に負った火傷や痣が
なんとも痛々しい。

前垂れが左に捲れてしまったため、下着を剥がされ、
恥毛を焼き払われた股間のクレパスは、生まれたままの状態で
全世界の視聴者に晒されることとなった。
カメラが向けられた瞬間、まるで待っていたかのように、
小水が細い孤を描いて漏れ始め、
舞の下半身と、彼女が寝そべる地面を失禁で汚した。

「KO」

アナウンスが舞の敗北を世界に告げる。
それは同時に、チーム・イングランドの初戦敗退と、
チーム・上海のベスト8進出を意味する二文字でもあった。


10.
遠くでススリ泣く声が聞こえる。

「うわぁぁん。舞ちゃん死んじゃったら嫌だよぅ!」
「不知火さん、しっかりして下さい。
私と女子相撲チームを作る夢はどうなるんですか!?」

それが複数の女の子の声であることに気付き、舞は重い瞼を開けてみせる。

ユリ……それに…雛子ちゃん………

今回は別々のチームとしてKOFに参戦している、
かつてのチームメイト達の顔が目に入った。

舞に負けず劣らず気丈な娘であるユリ・サカザキは、
真赤に泣き腫らした両目から大粒の涙を落としており、
国宝級の天然少女である四条雛子までもが、血の気の失せた顔で、
舞に縋りついている。

観にきてくれたんだ…私の試合…。
ごめんね……あんなカッコ悪い試合を見せちゃって……。
それにキングさんとマリーは無事なのかな……。
リーダーの私がしっかりしていれば、
二人をあんな目にあわせずに済んだのに……

ユリに問いかけようとするが声は出ず、
代わりに胃の奥から熱いものが込み上げ――――

「がっ…ごほっ…ごぼぉおおおお」

あれ……なに…これ……なんでこんなに……?
自分でもびっくりするほどの赤い液体を、舞は口からぶちまけていた。
吐き出された大量の血液がガラス面にこびりつき、
その時初めて舞は、自分が酸素吸入器を取り付けられていることに気付いた。

「ヤバい。内臓がいくつか破裂している。急いで病院に搬送するぞ」
救急隊員たちの「せぇの」の掛け声で、舞を寝かせた担架が持ち上げられる。

あれ…おかしいな…
私ってそんなにボロボロに負けちゃったんだっけ?
私ってそんなに………
……重体なの………?

舞の心の声に応えてくれる者は誰もおらず、
彼女と付添い人のユリを積み込んで、救急車は夜の街へと走り出した。


11.
報道陣のインタビューを適当にあしらった後、
アッシュたち三人は石畳の坂道を下りながら口論を繰り広げていた。
向こうの通りから聞こえた救急車のサイレン音も、今は遠ざかって消えている。

「破られたとはいえ、俺の“幻夢怨霊壁”と“幻夢呪怨死魂”を受けて
五体満足でいられる者など存在しない」

「じゃあなんだ。つまりあれか?お前の術を喰らったせいで、
あのオネエちゃんの体は内部からズタボロに腐りかけていて、
そこに俺の拳がめり込んで内臓を一斉に破裂させちまったという、
そういう訳なのか?」

「噛み砕いて言えばそういうことになる」
「ぬぁあああぁああああああ!!なんてこった!!女だから手加減、
なんてつもりは最初からなかったが、
あんな別嬪なオネエちゃんをもしも死なせちまったら、流石に後味が悪いぜ!!」

「後味が悪いだけならまだいいけどサ。あの忍者のお姉さんは、
同性異性を問わず、世界中にファンがいるらしいヨ。
だから、彼女をあんな酷い目に合わせたシェンは、アンディ・ボガードどころか、
ある意味全世界を敵に回したと考えていいかもネ。
明日のスポーツ新聞で『やり過ぎだ!極悪非道の暴力漢、シェン・ウーに制裁を!』
とか書かれたりして―――」

「だまれ!だまれ、だまれ、だまれ!!元はと言えばアッシュ、テメェが突然
『せっかくだから連携技の実践練習でもさせてもらおうヨ』とかぬかすから――――
はっ!?まさかテメェはこうなることを知っていて、この俺様に汚れ役を―――」

「ンフ♪そんな訳ないじゃん。ボクだってデュオロンの奥儀の効能は
全然知らなかった訳だし―――」

「本当にそうなのか?」
珍しく、デュオロンがアッシュに食ってかかる。

「さぁ?」
「相変わらず、心の内が読めん奴だ。まぁいい。俺は先に宿に帰らせてもらう」

「あれ?勝利の祝杯は?」
アッシュが言った時、デュオロンの姿は闇に溶け込むように消えていた。

「俺も今日は帰るわ。楽しく酒を飲める気分じゃねーんだ」
デュオロンに続いてシェンもその場を去っていく。
その背中はアッシュに対し「ついてくんじゃねーぞ」という無言の
メッセージを投げかけていた。


―それからさらに1時間30分後―

旧市街であるアルファマ地区を抜けると、
リスボンの街並みはフランスのパリをモデルに整備された、
統一感のある景色へと姿を変える。

旧時代の建造物が1755年の大震災でことごとく瓦礫と化し、
街作りがゼロからやり直された結果である。

故郷の都によく似た景観が、闘いの興奮を鎮め、
アッシュ・クリムゾンの心を和ませる。

人通りの絶えた、夜の路地で彼は一人、本日の戦果を振り返る。

初戦で不知火舞と闘えたのは本当に幸運だったとアッシュは思う。
先祖代々伝わる忍術を体に宿した彼女は、
今回U18枠でKOFに参戦している超能力少女、麻宮アテナと並び、
彼の“予行練習”に最適な獲物であった。

過去の実績を調べたところ、舞もアテナも
KOFの決勝戦まで勝ち残る可能性は、低いであろうことが分かっていた。
そのため、トーナメントの組み合わせ次第では
彼女らと闘う機会もないまま、即ち“予行練習”なしに
“真のターゲット”である三人と接触する必要性を、
彼は覚悟していたのである。
そして実際、アテナのチームはアッシュ達と反対側のブロックにあり、
確実に狩れるチャンスのある獲物は、不知火舞ただ一人となっていた。

「サイボーグとか改造人間みたいな紛い物からは“力”を抜き出せないからネェ」

麻宮アテナ
不知火舞
神楽ちづる
八神庵
草薙京

多いようで実は少ない、真性の異能者たちの顔を思い浮かべながら、
今日の戦利品である“不知火の焔”をアッシュは指先で弄んでみせる。

「君には本当に感謝しているんだヨ、不知火舞さん。
君が協力してくれたお陰で、“力”を抜き出すためのおおよその目安が分かったんだ。
もしお互い生きていて、次の大会で会うことがあったら、
その時にこの炎は返してあげるヨ」

同じ星空の下、市内の病院の緊急手術室で生死の間を彷徨っているであろう
クノイチに、アッシュは呼びかける。

少し先の話をするならば、実は次のKOFに不知火舞の姿は見当たらず、
ムードメーカーの彼女を失ったことで、
伝統だった女性格闘家チームは消滅してしまう。

その際メディアでは、舞の再起不能説や傷心による引きこもり説、
恋人とのヴァカンス説など、様々な推測、憶測が乱れ飛ぶことになるのだが、
そんな未来のことなど、流石のアッシュも知る由はない。

今はただ、チーム史上最低の大敗を喫した三人のヒロインに、
そして新生KOF波乱の幕開けに沸いたリスボンの街に、
おやすみの挨拶をするのみである。

「Bonne nuit.」

アッシュの指先から赤い炎が消え、路地は闇に包まれる。

そして――――

街は静かに眠りについた。

FIN.